2015年1月25日日曜日

1017 週次レビューから12〜「世話を焼きたがる」「ガラクタに縛られる」

今週は猫の体調の急変などのほかにも、いろいろ気づくこともありました。分量多めでしたので2回に分けて掲載します。
明け方の夢。ロッカーのところで誰かに「爪折れた。マニキュア持ってない?」と聞かれて、「ない」と答えてから「用意しとかなきゃ」と考えている自分。自分はマニキュアなど使わないだろう。他人の世話を焼きすぎるなという警告なのかな。
夢ですが、シチュエーションとしては会社のロッカールームかと。
以前読んだ本に、自分のことよりまず他人の世話を焼きたがる人は子供の頃に親から世話をしてもらえなかった人。だから「そうしてほしい」という気持ちの裏返しで他人の世話を焼きたがる、というようなことが書かれていました。

また、アメリカのドラマ「CSI:科学捜査班」12シーズンで、古参メンバーのキャサリンが昔の友人に利用され、その理由を聞くシーンも思い出しました。
「あなたは人の世話を焼きたがるから。自分を優先しない、そのほうが楽だからよ。高見を目指さないとダメ」
その場でぬくぬく楽な方法を選択していてはダメということでしょうか。自分のことを言われているようで耳が痛くなりました。

話がそれましたが、先の夢は自分を放置したまま他人の世話を焼いてはダメよ、という啓示なのかもしれませんね。

モノに固執している自分。どうしても抜けられないな、これ。何年かしたら「そんなもの」になることが大半。大事だと思っていたモノも結局そうじゃなかったということが多々ある。ガラクタを死守していたこと。
例えば、コレクションをしているものも熱が冷めたらガラクタ同然に見えてきます。
また、引っ越しや大掃除などで荷物整理をしていると「なんでこんなものを後生大事に取っておいたんだろう?」と首をかしげるものが出てきます。

以前のエントリにも書いたのですが、当然ですがモノは死んだら持って行けません。加えて無意識に所有者を縛ります。それがあるからその場から離れられない、変化を恐れるんじゃないかと、最近モノをいろいろ処分してひしひしと感じています。所有している家などはその最たるもののように思います。(家については老後の生活など考慮すべき要因が人それぞれなので、ここではこれ以上触れませんが。)

なんとなく体が重い、この状況から出たくないと思っていたのは、それらのモノがその場所に所有者を留める力をもっていたのではないかと思いました。
ここのところは「カレン本」(「ガラクタ捨てれば自分が見える」の通称)の影響かもしれませんが、今回は身をもって認識したところです。


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