2013年1月20日日曜日

381 直感を信じるということ


先日、直感を信じるということに少々ネガティブなツイートを見かけたので、もの書き写真堂なりの考えを。

これまで直感を信じるということを何度か書いてきたが、これはあくまで自分に対して「直感を信じて動く」と言っているだけ。他人に対して「直感を信じろ」とアドバイスしてはいない。もちろん、当ブログを読んで「直感を信じて動いてみようかな?」と思っていただけるとちょっと嬉しいが。

もの書き写真堂の経験から、直感はヤマカンではない。つまり、当てずっぽうなものでも、ご都合主義的なものではない。
たとえば、単純に仕事がイヤで「今日は休みたいなぁ、と内なる声が言っている」は、ご都合主義。でも、休みたい理由が熱っぽい、体が妙に動かなくてだるいというようなときは、直感というより自分の内なる声に耳を澄ませて分析し、単なる「仕事がイヤで行きたくない」ということでなければ、従うに値する。経験的にここで無理して行っても生産性は低いし、結局、体調不良をこじらせて翌日休みという結果になることが多かった。

このように、もの書き写真堂の場合、直感=内なる声、というちょっと霊感的な話に聞こえるかもしれないが、本当の自分の気持ちと言い換えるとわかりやすいかもしれない。その本当の気持ちというのは、倫理やこれまで様々な人から受けた教育その他によって抑え込まれることが多い。



この抑え込む力のことを、「ずっとやりたかったことを、やりなさい」という、もの書き写真堂のバイブルとも言える本では「検閲官」と呼んでいた。この検閲官はいつもネガティブで、素直な気持ちや内からわき上がる情熱・希望をことごとく打ち砕いてくれる。
先の事例でいくと、「体調が悪いって?ホントか?単にずる休みしたいだけだろう?」と無理をしてでも仕事に行かせるように、巧みに良心に訴えかけてくる。

要するに、それだけ直感、内なる声は小さくて弱いので、しっかり聞き取る訓練が必要なのだ。だが、これは短期間でうまくできるものでなく、何度も何度も無視して失敗し、そういう痛い思いをして経験値が上がっていくものなのだ。

だから、他人には安易に「直感を信じて動け」とは言わない。その人がこれまでにどれだけ直感を信じてうまくいったか、あるいは直感を無視してうまくいかなかったか不明だからだ。
なかには無意識に直感を信じてうまくいっている人もいるだろう。幸運なことだと思う。

結論としては、これからも直感を信じていくし、直感に対してネガティブな人の意見は拝聴したうえ静観することにする。

最後に、もの書き写真堂が週次レビューでやっている問いかけのなかから一つ紹介したい。これはオリジナルではなく、あるアップルパイ好きの若者から教えてもらったものだ。

直感が私にひとつアドバイスを与えようとしているとするなら、それは何だろう?

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