2015年3月16日月曜日

1044 本屋で探検19〜「ディーセント・ワーク・ガーディアン」(沢村凜・著)


「不定期に本屋さんに行き、知らない作家の本を少なくとも1冊は買う」というルールに則って紹介する第19回目。
今回は、沢村凜・著「ディーセント・ワーク・ガーディアン」です。

いわゆる「職業小説」です。
職業小説と聞いて思い浮かぶのが三浦しをんの小説ですが、彼女の小説はユーモアがベースにありますが、こちらの「ディーセント・ワーク・ガーディアン」は労働基準監督署というお役所が舞台ということもあって、法に則って粛々と業務を遂行する監督官というハード系職業小説という仕上がりになってます。


こういう法を扱った小説は細部まで整合性が取れていること、つまり法の解釈や実際の行政・司法手続きに沿って正確に書かないと、少しの誤りでもあると破綻してしまうと思うのです。例えフィクションとはいえ、押さえるところを押さえないと嘘くさくなる。「ディーセント・ワーク・ガーディアン」はそこのところを綿密に押さえてあると感じました。

さて、タイトルにあるディーセント・ワークとはなんぞや?ということなんですが、これは小説のなかにある主人公とその部下の会話から引用してみます。

「ディーセント・ワークって言葉、知ってるよな」
「もちろんです。国際労働機関(ILO)が掲げる二十一世紀の目標ですから」
質問されたことが不本意とばかりに、加茂は口をとがらせた。
「うん。ディーセントとは、『適正な』とか『妥当な』って意味だが、俺は『まっとうな』という日本語がいちばんぴったりくる気がする。そうするとディーセント・ワークとは、平たく言えば、普通に働いて普通に暮らせるってことになるんじゃないかな。ただし、その〈普通〉をきちんと説明しようと思ったら、否定文をいくつも並べることになる」
「否定文?」
「生活費に満たないような賃金ではないこと。働きつづけると病気になるような作業環境ではないこと。死んだり怪我を負ったりの危険に満ちていないこと。心身の健康を損なうほどの長時間労働ではないこと。人格が否定される職場ではないこと。耐え難いストレスが生じる仕事ではないこと、エトセトラ」
「あってはならないマイナス要素を消していくと、〈普通〉が残るわけですね」
「そうだ。そして、ILOでなくても、二十一世紀以前でも、労働問題に携わるものはみんな、このディーセント・ワークの実現を目指してきたといえるはずだ」(後略)
「ディーセント・ワーク・ガーディアン」の「ガーディアン」とは、保護者、守護者という意味ですから、まっとうに働けるよう監視する人、つまり労働法規により職務を遂行する労働基準監督官を指しているわけですね。

それにしても、労働基準監督官がどんな仕事をしているんでしょうか?労働基準監督署のイメージはなんとなくわかっていましたが、司法捜査もするということを始めて知りました。それもどんな感じで現場検証などを行うのかが小説の中で描かれ、時には警察と同じ「事件」を追う場面はなかなか興味深いものがありました。

労働基準監督官の仕事をわかりやすく伝えたいとき、「働く人を守ること」という表現がよく使われる。しかしそれは、浜辺でいじめられている亀を浦島太郎が助けるような構図とは違う。労働者の権利を守るために、労働基準法や労働安全衛生法や最低賃金法といった労働者保護法令があり、その履行確保ーーきちんと守られるよう働きかけることーーが任務となるのだ。「働きかける」とは、法令の内容を周知させることから、労働者や経営者の相談に応じること、人々が働く場に法令違反がないか立ち入り調査をすること、違反があれば改善するよう指導すること、指導に従わなかったり違反が重大だったりする場合に書類送検することまでさまざまだが、根底には常に法律がある。
なるほど。

さて、その労働監督官の主人公は、地方都市・黒鹿市にある労働基準監督署に勤める三村全(たもつ)。
友人に同じ市内の警察に勤める警部補・清田(バツイチ、後に再婚)がいて、それぞれ守秘義務を遵守しながらのぎりぎりの会話や情報交換が繰り返されたり、学生時代からの同期らしく時には馬鹿話もするという間柄です。
このふたりが同じ事件の捜査をした時(第3話「友の頼み事」)、物語の最後で同時に発言したそれぞれの結論が、彼らの職業をうまく表していて笑いが漏れたシーンでした。

物語は、時間の流れに沿って一つの事件ごとに読み切りの全6話から構成されています。三村個人のエピソードも織り込まれ、彼には妻と小学生の男の子(後に中1に)がいるのですが、妻が仕事の関係で息子と一緒に上京したため三村が「逆単身赴任」状態。2週に1度、妻が帰省して食事を作り置きしてくれるが、その頻度も下がり、やがて突然「妊娠したので、別れて欲しい」と言われます。

夫婦の関係にうすうす気づいているだろう息子に会いに行った三村が、その息子から「みんなで幸せになるのって、無理なのかな」と問われ、返す答えが読み応えがありました。ここは実際に前後の流れも読んでいただきたいのであえて引用しません。
しかし、あのように返す父親はかっこいいなぁと思う反面、実在しないよなぁとか、実際に言われたらこっぱずかしくなって制止するかもしれませんが。

そんな家庭内の事件が起きたと同時に三村の身にふりかかる「災い」が最後の第6話で語られます。
以前、労基法違反で書類送検して現在は別会社を興して成功者になった若者が、その富と政界の人脈を最大限に利用し、三村を陥れようとします。まさに逆恨み、逆ギレですね。

この話ではこれまでの労働各法の違反の話とは異なり、三村に降りかかった災厄を通して労働者が自らの権利を自らの手で守らねばならないということを訴えます。自ら声をあげねば、戦わねばいくら法があっても自らを守ることはできないのだ、と。(文庫本P366〜)
ただ、この「事件」はやや消化不良な感じで終わりますが、それでも「労働者」である人々には必読だと思います。

この後も三村や清田の仕事は続いていきます。彼らもまた労働者です。それにふたりのそれぞれの家庭生活もこれからどうなるのか気になりますし、他にどんな事案があるのかも小説を通して見てみたい気もします。続編を期待したいですね。

労働の在り方について考えるきっかけになる小説です。まさに労働者必読の物語でした。オススメです。

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