2015年7月4日土曜日

1136 本屋で探検35〜「僕は、そして僕たちはどう生きるか」(梨木香歩:著)

「不定期に本屋さんに行き、知らない作家の本を少なくとも1冊は買う」というルールに則って紹介する第35回目。
今回は、梨木香歩:著「僕は、そして僕たちはどう生きるか」です。

作者は、「西の魔女が死んだ」を著した方でもあります。
「僕は、そして僕たちはどう生きるか」は、2007年4月から2009年12月まで理論社のウェブマガジンに掲載され、2011年に同社より刊行されています(巻末解説より)。文庫化は2015年2月です。
ですが、内容は世界情勢、国内情勢がきな臭くなってきた2015年のいま、読むべきじゃないかという内容でした。


物語は、コペルというあだ名の14歳の中学生の男の子と、その叔父さんで染織家のノボちゃんがヨモギを採取するところから始まります。
コペルには小学校高学年から不登校になり、中学もそのまま出てこないユージンという幼なじみの男の子がいます。彼の家が自然を取り込んだ大きな屋敷で、子供の頃にヨモギを採った記憶からコペルはユージンに連絡をとり訪問することになります。
そこへ、ユージンのいとこで彼らより一歳年上のショウコもやってきて、ユージンの敷地に「インジャ(隠者)が潜んでいる」という不可解な話をします。

コペル、ユージン、ショウコ、ノボちゃん、ショウコの母の知人でオーストラリア人のマーク、それにインジャ、この6人がユージンの屋敷で過ごした1日がコペルの一人称で語られます。

そこでは、ユージンが不登校になった理由、インジャの身に起きたこと、道路拡張に反対しつつ潰される土地に生息する貴重な植物を屋敷の庭に移植していたユージンの亡くなった祖母の話、ユージンの大叔父さんたちが戦前・戦中に読んだ雑誌や書籍が自由な空気からだんだん戦時色が濃くなっていった話、子供の頃に山で迷子になったユージンが迷い込んだ洞穴に戦時中徴兵を逃れて隠れていた人の話、その人の話を戦後しばらくしてからユージンや祖母が本人から直接聞いたこと、など。

淡々と書かれているので、読んだ直後は作者の静かなある種の怒りが含まれているのかと思ったのですが、
「このことについて、あなた本人はどう考える?」
そう問われているような気がしてきました。
そういえば、例えばニュースを読んだ際も頭の中でもやもやと考えるだけで、はっきりした言葉で自分が感じたことを表したりしていないなぁと。

いちばんそう感じた場面は、ユージンの不登校の理由でした。小学校5年の時に卵から孵したニワトリが大きくなり家に置けなくなったことから、母親が小学校にかけあって飼ってもらうことになったのですが、いざ連れていくと担任が「命の授業をしよう」とそのニワトリを殺してクラスのみんなで食べることになりました。みんなが賛成しているのに、ユージンだけが大事なニワトリが殺されるのがイヤだと言えない雰囲気になります。本当はイヤだと言いたかったのに、身体が勝手に動いてうなずいてしまいます。

もちろんユージンはその肉を食べられなかったのですが、担任がユージンに「君の食べたスープはあのニワトリの鶏ガラでだしを取ったんだよ」と打ち明けた途端、ユージンのなかで何かが壊れ不登校になっていったとコペルに淡々と語ります。

この自分の周りにある大きな集団に流される危険性を表したシーンはぐさっと来ました。確かにそんな状況では一人だけNo!とは言えないでしょう。「和を乱す」「みんな賛成している」といったものの前では、よほどの勇気と自信がないと、そういう圧力に負けてしまいそうになります。

ユージンの親友であったコペルも当時、大勢の側に回りました。さらにそのことについて深く考えず今日まで過ごし、ユージンの不登校の理由がそこにあったことに気づかなかった自分を悔やみます。

もしかしたら僕はーーいや、もしかしたらじゃないーーあの屋根裏部屋で戦時中の雑誌を読んでいたとき、距離を感じた愛国少年少女たちと本当は同じだったんじゃないか。つまり、大勢の側の理論に簡単に操られてしまう、という。「非常時」という大義名分の威力に負けて、自ら進んで思考停止スイッチを押し、個を捨ててしまう。もっとひどいかもしれない。もしあの時代僕がドイツに生まれたドイツ人だったら、隠れているユダヤ人を見つけて通報するくらいしたかもしれない。そんな適応力が僕には確かにある。それが「正しいこと」だと自分自身に言い聞かせてあれば。(P230)

作者は、後述するインジャの身に起こったことを語るコペルを通してこうも言っています。

大勢が声を揃えて一つのことを言っているようなとき、少しでも違和感があったら、自分は何に引っ掛かっているのか、意識のライトを当てて明らかにする。自分が、足がかりにすべきはそこだ。自分基準(スタンダード)で「自分」をつくっていくんだ。
他人の「普通」は、そこには関係ない。(P135)

「普通」という言葉のほかに、「みんなが」「当たり前」「当然」「常識」という言葉で語られたときは、「本当にそうか?」と自分の頭で検証する。そんな「考える癖」をつける必要があると、近頃の世の中を見ていると痛感しますし、ごく身近な出来事にさえもそういう事例は少なくないと感じます。

そして、もうひとつ強烈な印象を残した部分がありました。
ユージンの祖母が生前、道路建設でつぶされる土地から少しずつ植物を移植していたのは、ある日突然風向きが変わり、あれよあれよという間にやられてしまう、だから小さいことでもできるうちに動かねばならないという信念からでした。
これも今という時代だけでなく、いつの時代にも言えることなのかもしれません。

ユージンの祖母が植物を集める際に案内役になった人が、徴兵を拒否して洞穴にこもっていた人でした。いつ「そこは手を付けない」という約束が反古にされるかわからないから今のうちに植物を移植するのだという祖母に、その人は「それが国のやり方だ。国が本気でこうしたいと思ったら、もう、あれよあれよという間の出来事なんだ」と語ります。
小説のなかの話なのに、妙にリアリティを感じるエピソードですね。

主人公で語り手のコペルというあだ名は、戦前のある本にも出てくるそうです。巻末の解説を書かれた作家の澤地久枝氏によると、

昭和十二(1937)年八月、日中戦争の発端になる中国盧溝橋での衝突の一ヶ月後の発行、『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)の中心人物も「コペル君」だった。それを知っているひとは、この「再会」に、梨木さんのつよい意思を感じるはずだ。
吉野さんの本は、軍ファシズムに抗して、未来を生きる少年少女のためにという山本有三以下、日本の良心のようなひとたちによる『日本少国民文庫』(全十六巻、新潮社)の最終巻である。
じりじりと戦争へ傾斜してゆく時代、「挙国一致」へ一色になってゆく世相。よく出版ができたと思う。書き手も、出版社側もあえて勇気をもった。「少年少女にこそ、まだ希望がある」と考えた先輩たちは、敗戦後七十年になるという現在の日本、とりまく世界の状況をどう見ているだろうか。

澤地氏も言うとおり、梨木氏は「君たちはどう生きるか」を意識して書いたことは明白でしょう。
さらに、作中の徴兵を拒否して山にこもった人(米谷さんという名前です)にユージンを通してこう語らせています。

「米谷さんと山を歩いたとき、僕は思い切って、「あの洞穴で<どう生きるか>って考えてたって聞いたんですけど」、って話しかけた。そしたら、米谷さんは、「戦時中だったからね。自分の生き方を考える、ということは、戦争のことを考える、ってことと切り離せなかったんだね。でも人間って弱いものだから、集団のなかにいるとつい、皆と同じ行動を取ったり、同じように考えがちになる。あそこで、たった一人きりになって、初めて純粋に、僕はどう考えるのか、これからどう生きるのか、って考えられるようになった。そしたら、次に、じゃあ、僕たちは、って考えられたんだ」って答えた」(P176~)

コペルというあだ名のこと、この小説のタイトル「僕は、そして僕たちはどう生きるか」。このふたつからも作者が強調したいことが伝わってきます。それを示す箇所は作中の随所に見られます。

物語の最後は、コペルたちの1日の終わりと重なります。ユージンの庭で皆がたきぎを囲み、新たに加わるインジャのために席を勧めるところで終わります。その炎の明るさと暖かさを想像しながら、「自分で考える」ということについてもう少し意識してやってみなければと思いました。

余談ですが、解説を執筆した澤地久枝氏は1930年生まれで終戦前後はまさにコペルたちと同じ世代でした。解説の最後で「わたしは「戦争中の愛国少女」であり、その「恥」とともに生きてきた」と書かれています。
ですが、梨木氏の本書の感想についてはあまり多くを語っていません。

奇しくも2015年6月、澤地氏が「愛国少女」として敗戦を迎えた14歳、その前後の満州での暮らし、そこからの引き揚げの様子を記したノンフィクション「14歳〈フォーティーン〉 満州開拓村からの帰還」が発刊されました。
現代の14歳には両書ともやや難しいかもしれないですが、いまだからこそ読んで考えてほしい本だと思いました。

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