2015年12月8日火曜日

1206 本屋で探検46〜「余命1年のスタリオン」上・下巻(石田衣良・著)

「不定期に本屋さんに行き、知らない作家の本を少なくとも1冊は買う」というルールに則って紹介する第46回目。
今回は、石田衣良・著「余命1年のスタリオン」です。文庫は上下巻になっています。まずは上巻のご紹介をば。

物語は、「第15回スタリオンボーイ」という男性新人タレント発掘オーディションの結果発表という華々しい舞台で幕を開けます。主人公の小早川当馬はこのオーディション第1回の受賞者で、モデルからスタートし現在は下ネタが得意な二枚目半の俳優として活躍しています。


これまで二人三脚でやってきたマネージャーが辞め、後任に法学部卒で外見がぱっとしない新人女子マネージャーをあてがわれた以外は仕事も(バツイチだが)恋も絶好調の35歳。
しかし、秋口から続いている咳が止まらず、年末進行で忙しい師走になる頃には咳き込んだ途端に喀血。スケジュールの合間を縫って病院で検査をしたところ、肺に小細胞がんという進行の速い悪性腫瘍があると医者から告げられます。

しかも手術はできず抗がん剤と放射線治療が主で、3割は良くなるが残りの7割は他臓器に転移し助からない。もしその7割の最悪ケースだとしたら余命は1年、というより1年生存率が50%なので1年未満で亡くなる人もいると言うのです。お先真っ暗ですよね。その告知後の描写が秀逸です。
当馬は顔をあげて、病院のカフェを見回した。世界が丸々漂白されたようだった。テーブルや椅子、食事中の人たち、冬の日ざしを浴びた窓の外の景色まで白茶けて、本来の豊かな色彩を失ってしまっている。世界は旧い映画のようにモノトーンだ。
私も似たような体験をしたので、これはわかるなぁと。作者の石田氏はこんな感覚をどこで得たのかしら?と不思議に思ったくらいでした。

それにしても、もうひとつ特筆すべきなのが登場する女性陣が全てと言って良いくらい強いのです。芯がある人、生活力がある人、したたかな人など、皆憎めないかわいい女性が出てきます。
上巻冒頭で出てきてすぐ退場した元マネージャー・玉井光江、新しいマネージャー・木内あかね、事務所の女社長・沢松悦子、3人いる恋人のホステス・加納キララと先輩女優の都留寿美子とファッションモデルの白瀬まあや、元妻で医者の朝倉有希子、そして当馬の母・佐織。

その中からまずは元妻・有希子のセリフを。精密検査の結果、当馬が末期の肺がんで余命1年を宣告された直後、有希子を呼び出してセカンドオピニオンを頼んだシーンです。

「がんはできる部位によっては、大手術になって体力ががた落ちしちゃうこともあるんだよ。抗がん剤治療でよくなる可能性があるなら、逆によかったじゃない」(中略)「だって、俳優の仕事を続けられるでしょう。当馬には演じることしかないじゃない」
(中略)
有希子にはほんの数十分まえに当馬の検査結果を見せたばかりである。職業柄慣れているとはいえ、末期の患者に残り1年でなにをやるかと平然と聞く。しかも役者以外になにができると指摘したのだ。(中略)芸能界の友人の何人かの顔が浮かんだけれど、たとえ相談しても、いっしょに悲しんだり同情はしてくれるだろうが、こんなふうに奮い立たせてはくれなかっただろう。
次は、当馬の母・佐織。当馬は小学校低学年の時に父親を仕事上の事故による火傷で亡くしています。
「お父さんは事故で全身に重い火傷を負って、身体中包帯を巻かれていたけど、ずっといっていたよ。がんばって治して、家族のためにまた働くからって。あなたのことをずっと話していた。健彦(当馬の本名)を海やスキーに連れていってやる。健彦が大学にいくまでは、なにがあっても生き抜いてやる。亡くなる直前まで、明日はあれをする、来週にはこれをする、1年後にはきっと退院して、家から工場にまた通ってやるといっていた。でも、あの人には二週間しか残されていなかった」
(中略)
「あなたにはまだ一年もある。その一年を超えて生きられる可能性も半分はある。かかってしまった病気は、もうしょうがない。それは運命だからね。でも、これからどう生きるかで、健彦、あなたのほんとの値打ちが決まるんだよ。お父さんの子なんだから、しっかりしなさい」
(中略)若くして夫を亡くし、今またひとり息子を失おうとしている。佐織が悲しくない訳などなかった。だが、母は自分の悲しみよりも、息子の闘志に火をつけることを選んだ。優しく抱きしめるのではなく、尻を蹴飛ばして病気と闘わせ、さらに一段いい仕事をさせようとしている。
父親も強いけど、その妻たる母親も強いですね。作者は強い女たちを当馬に援軍として送ったなぁと思うと同時に、女の視点から見てもかっこいい女性を描ける作家さんだなぁと感じました。

この後、当馬は以前から温めていたオリジナル主演脚本の映画に本腰を入れます。これまで制作費が集まらなかったため、一世一代の大舞台をぶち上げて制作にこぎ着けます。
思い起こせば、当馬が現在の種馬王子のキャラクターを確立できたのは、普通の俳優なら必死で隠す色恋や性欲を正直に表沙汰にしてきたからだった。欲望は隠しているうちは、それに追い回されることになる。だが、いったん認めてしまえば、欲望さえ自分のために利用できるはずだ。
恋愛やセックスならよくて、肺がんがダメだという理由などなかった。堂々と胸を張り、自分はがん患者だといえばよかったのだ。ただしそれにはタイミングが大切である。当馬にとって肺がんは、これまで恋をしたどの女優の名前より強力なカードだ。なんといっても若い二枚目俳優の末期がんなのだ。命がけのスペードのエースである。
がん告知と映画制作の記者発表をテレビで同時に行うことで制作費が集まり、当馬自身にもがん保険のCMのオファーが破格のギャラで来たりと事はトントン拍子で進んで行きます。
当初は自分の病気まで売名に使ったというネガティブな意見を想定していた当馬ですが、通りすがりの見知らぬ人たちから「がんを公表してくれてありがとう。家族もがんで闘病中なんです。がんばってください」と声をかけられて驚きます。「がんという病気に対する偏見や差別をなくすために、まだまだ自分にできることがたくさんありそうである」と自覚する当馬。

このほかにも、当馬ががんになって感じたことをつぶやく場面に胸がじーんとしてきました。
なんとか今を生きていること、それが奇跡のように思える。母の手ひとつで育てられ、大学まで卒業させてもらった。アルバイト感覚で応募した雑誌のコンテストで、何故かグランプリを獲り、今の事務所に拾ってもらった。その後、十五年間も浮き沈みの激しい芸能界で俳優の仕事を続けてこられた。これまでに出会った人が、誰かひとりでも欠けていれば、今あるような自分にはならなかっただろう。周囲には感謝するしかない。(中略)人間というのは、重病で死にかけているときでさえ、周囲の人に感謝する生きものなのだ。(P205)
この病気になってよかったことのひとつは、幸福の敷居が低くなったことである。自宅のソファに寝そべる、風呂に入る、窓から庭の緑を眺める。空に冬も終わりの淡い雲が浮かんでいるだけで、出し抜けに当馬は幸福感に打たれるのだった。(P288)
私も大病をしたので、これは分かるなぁとしみじみ思いました。ちょっと付け加えさせていただくなら、重病になったからこそ感謝の念がわくというほうが近いかなぁと。

さて、上巻は4クールの抗がん剤治療が終わり、いよいよ映画のクランクインを控え主治医から検査結果を聞くシーンで幕を下ろします。ここのところは是非、本を手にとってご覧くださいませ。
ということで、私はこれから下巻を読もうと思います。さて、どんな結末がまっているのでしょうか。

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